私説:コンセプチュアル・アートの場合、従来型の「作品を展示する」枠組みから脱しないと訴求力が低下する恐れがある



前回、個展「こだわりの果て…」の展示コンセプトの詳細を掲載しましたが、今回はその展示コンセプトを具現化した床面の作品に関する考察です。

展示コンセプトを具現化した床面作品の概説

前回の記事に書きましたように、今回の個展の床面作品は写真家をはじめとしたアーティストの作品へのこだわりは、同時に資源の大量消費と大量のゴミを生み出すことにも繋がることを示すために、普段なら捨ててしまうテストプリントなどを下の写真のように台の上に散らかして置きました。
このような置き方をしたのはゴミのように見せたかったからです。

田尻健二 個展「こだわりの果て…」床面作品

床面作品

従来型の「作品を展示する」枠組みに縛られていた

ところが展示をご覧いただいた方の「ゴミ袋に入れても良かったのではないか」旨の感想にハッとさせられました。
その方が遥かにゴミらしく見えると感じたためです。

そしてそのことに気づいた途端、自分の展示の仕方がとても不自然に思えて来ました。
なぜなら本当のゴミなら、決してこのように散らかして並べたりはしないためです。
つまりこのゴミには、ゴミとしてのリアリティが欠けているのです。

では私はなぜ、指摘されるまで不自然さに気づかなかったのか?
それは私が従来型の「作品を展示する」という枠組みに縛られていたためです。

そのためゴミに見せたかったはずなのに、それを作品として扱い、その作品をゴミに見えるように「配置」したのです。

試しに搬出時に、ゴミとして処理される状態のものを急いで作ってみましたが、こちらの方がゴミを生み出している感じがより伝わってくるのではないでしょうか。

田尻健二 個展「こだわりの果て…」参考作品

参考作品

コンセプチュアル・アートの場合、従来型の「作品を展示する」枠組みから脱しないと訴求力が低下する恐れがある

今回の私の展示の主眼は展示コンセプト(メッセージ)の伝達であり、その目的は言語よりもビジュアル要素の方が有効と考えたため、記事ではなく展示の形をとりました。
その意味で今回の作品はコンセプチュアル・アートの範疇に属するものと考えられます。

wikiなどによればコンセプチュアル・アートとは作品の物資的な側面よりも、概念などの思考的な要素を重視するアート様式とあります。
そうであれば最も伝えたかったはずのメッセージである、プリントのクオリティにこだわるあまりテストプリントを繰り返し、その結果大量の「ゴミ」を発生させてしまっている状態の明確化に注力すべきでした。

しかしそれができなかったのは、前述の通り作家活動を開始して以来ずっと続けて来た、芸術性を有した物質としての作品を展示(配置)するという従来型の展示の枠組みから抜け出せなかったためです。

今回の個展での経験から、コンセプチュアル・アートを制作する場合は、従来型の「作品を展示する」枠組みから脱しないと作品の訴求力が低下する恐れがあるとの考えに至りました。

概念その他の思考的な要素の伝達に注力するのがコンセプチュアル・アートの真髄

確かに作品の見栄えは良いに越したことはないでしょう。
しかしそれを高めるためにメッセージの伝達力が低下してしまうようでは、コンセプチュアル・アートに限っては本末転倒のはずです。

作品の見栄えの良し悪しに囚われることなく、概念その他の思考的な要素の伝達に注力するのがコンセプチュアル・アートの真髄かつ醍醐味であり、それゆえ椹木野衣さんが『反アート入門』で述べている知的ゲームの代表格なのだと思います。

またそうした行為に知的興奮を覚える人が、コンセプチュアル・アートの担い手であり、またファンの方々なのだと思います。

参考文献

椹木野衣著『反アート入門』幻冬舎、2010年